国交正常化60年、両陛下フィリピンご訪問

引用:http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/01/30/20160130k0000m040107000p/61.jpg
天皇・皇后両陛下は、日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを公式訪問なさりました。29日にはラグナ州カリラヤを訪れ、「比島戦没者の碑」に供花して深々と拝礼あそばされました。
天皇陛下は、「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました」としたうえで、「私どもは、このことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」と話されました。
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・陛下の慰霊の旅とは?
天皇陛下は、戦争末期の1944~45年、疎開のため各地を転々としていました。この体験を原点に、平和への思いを高められていました。
なかでも、沖縄戦終結の日(6月23日)、広島、長崎への原爆投下の日(8月6、9日)、終戦の日(同15日)を「忘れてはならない日」となさりました。
そのため、戦後50年の平成7年に、広島、長崎、沖縄、東京・下町の戦地を巡る「慰霊の旅」をなさりました。
・それ以降の慰霊の旅は?
大東亜戦争において、サイパンの民間人およそ1万人がで亡くなりました。激しい艦砲射撃や爆撃あるいは機銃掃射によって斃れ、5000人もの人が身を投じて自ら命を絶ったのでした。
戦後70年の27年4月には、パラオ共和国のペリリュー島にある「西太平洋戦没者の碑」に供花して深々と拝礼あそばされました。
ペリリュー島をはじめ幾つもの島で、日本軍は玉砕しました。日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。ペリリュー島の民間人は1人も犠牲になりませんでした。
詳しくはこちら 戦後70年、両陛下が激戦地となったパラオをご訪問
・なぜ訪問先はフィリピンなの?
陛下が訪問なさったフィリピンは、太平洋戦争で激戦地となりました。日本人戦没者は51万8000人。戦闘に巻き込まれて亡くなったフィリピン人は100万人を超えるといわれています。
陛下の海外での慰霊は、10年に1度でした。しかし今回、去年に引き続き2年連続での行幸となっています。日本人が命を落とした場所は、たくさんあります。フィリピン国交60年がご慰霊なさるチャンスだったのかもしれません。
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