日本でジェット旅客機がつくられなかった理由
公開日: 2015年11月14日 文化

三菱重工業と三菱航空機が開発する国産初のジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」が11日午前、初飛行しました。
国産旅客機の開発は、昭和37年8月に初飛行したプロペラ機「YS-11」から半世紀ぶりになります。
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・なぜ今まで作られなかった?
第二次世界大戦後、日本はアメリカの占領を受けました。アメリカは当初、日本を工業国から農業小国に弱体化させるつもりでした。
しかしその後、朝鮮戦争が勃発します。その戦争物資を調達するために、日本を工業国として発展させることになったのです。
それでも、戦勝国から飛行機の製造を7年間禁止されました。彼らは戦争中、日本の航空機技術に苦しめられたからです。日本が航空機技術を発達させることに、不安を感じたのでしょう。この間に、日本の技術は大きく遅れてしまったのです。
・「YS-11」とは?
そして解禁後、つくられたプロペラ機が「YS-11」です。
ところが、わずか6年後、YS-11の生産が打ち切られてしまいます。赤字がかさみ、黒字転換は無理と判断されたのです。それ以来、日本のメーカーは飛行機をつくっていません。
・これからの国産旅客機は?
アメリカの飛行機には、日本の技術・部品が多く使われています。たとえば、ボーイング787は3分の2以上が日本の部品です。
しかし、あくまでアメリカの下請けに過ぎません。このままでは、日本の航空機産業の衰退が危惧されます。日本ブランドの旅客機の開発が念願だったのです。
航空機産業は、ボーイングやエアバスのシェアが大きいため、新たに参入するのは難しく、部品の納入に徹した方がいいという意見があります。
対して、飛行機産業は経済に与える波及効果が大きいため、日本製の飛行機を発達させ、さらに中型・大型旅客機や戦闘機なども視野にいれるべきという意見もあります。