アメリカとキューバが国交回復するまでの経緯

公開日: 2015年7月22日 国際



キューバは20日、1961年以来、国交を断絶していたアメリカ54年ぶり国交を回復し、双方の大使館が再開しました。

ワシントンでは、大使館の再開を記念するセレモニーが行われ、キューバ国旗の掲揚が行われました。アメリカのオバマ大統領は、「歴史的な1歩であり、アメリカ近隣諸国にとって、新たな1章の始まりになる」と述べています。



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・キューバの歴史とは?

キューバはコロンブスにより発見され、スペインの植民地となっていました。

1899年、“独立の父”と慕われるホセ・マルティ率いる独立軍が開戦し、そこにキューバ解放を旗印とするアメリカが参戦したことで、スペインからの独立を達成します

しかし、キューバは、引き続きアメリカの軍事占領下におかれることになります。



・カストロ氏とは?

アメリカに従っているバティスタ政権を打倒する動きが出てきます。この時、反政府勢力の一人として立ち上がったのがフィデル・カストロ氏でした。

カストロ革命軍は1959年、首都ハバナを陥落し、カストロ氏が指導者となります。この時、カストロに多大な貢献をしたのが、「キューバ革命の英雄」として知られるチェ・ゲバラ氏です。

これに対してアメリカは、キューバに対する援助を打ち切ったり、キューバ向けの輸出を禁止しました。



・なぜ国交が断絶?

カストロは、アメリカの圧倒的な力に対抗するためにも、当時アメリカと対立していたソ連の力を借りることを決めました。すなわち社会主義体制への転換でした。

1962年、ソ連がキューバで核弾頭ミサイル基地建設を進めていることが明らかになりました。核戦争の一歩手前まで発展しましたが、ケネディ大統領とフルシチョフ首相の協議により、なんとか落ち着きます。これをキューバ危機といいます。

アメリカはこれをきっかけに、キューバとの貿易を全面的に禁止するなどの経済制裁を、現在に至るまで発動してきたのです。



両国の関係が改善されることはもちろん、今後アメリカから多くの観光客が訪れることで国の経済も潤っていくことを期待する意見があります。

キューバは、社会主義国家であるがゆえに、資源を大切にする循環型社会を作っており、カリブの楽園と呼ばれる伝統もあります。アメリカ資本が多く参入することで、キューバがアメリカナイズされるという懸念の声もあります。



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