サウジアラビアがイランと断交するまでの経緯

公開日: 2016年1月8日 国際 社会




引用:http://livedoor.blogimg.jp/hiroset/imgs/a/8/a87d67af-s.jpg

イスラム教スンニ派の盟主サウジアラビアが、シーア派の大国イラン外交関係を断絶しました。

イランは、イスラム教シーア派の指導者の死刑を執行したことをきっかけに、サウジアラビア大使館の襲撃して緊張が高まっていました。

さらに、バーレーンやスーダンもイランと断交することになり、中東での混乱が拡大しています。


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・サウジとイラン対立の発端は?

1月2日、サウジアラビアがイスラム教シーア派の聖職者を処刑しました。過去数十年で最も多い47人でした。

理由は、シーア派がサウジアラビアで起きたテロに関与していたためでした。そのテロを指揮したとして、高位指導者のニムル師も処刑されました。彼は、サウジアラビア王室に批判的でした。

これをきっかけにバーレーンやレバノン、そしてイランでは、大規模な抗議行動が展開されました。これらの国は、シーア派が国民の多数を占めているのです。



引用:http://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20150404-00000002-wordleaf/20150404-00000002-wordleaf-1056f857d8ebe33903ee9f5fb9252a02e.jpg



背景には、イスラム教のスンニ派とシーア派の対立がありました。サウジアラビアはスンニ派の中心国で、イランはシーア派の中心国です。

聖職者といえば、神に近い存在といえます。サウジアラビアが、対立しているシーア派の高位指導者ニムル師や聖職者を死刑にしたことで起こりました。



・イランはどう対応した?

イランでは、これに反発してイランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館を襲撃する事態となりました。暴徒化した若者らが火炎瓶を投げ込む騒動でした。

また、インドのカシミール、バーレーンのマナマ郊外で同様のシーア派による抗議行動が行われました。



・サウジアラビアはどう対応した?

サウジアラビアは、イランとの外交関係を断絶することを発表しました。理由は、テヘランにあるサウジ大使館を襲撃したことに対する報復でした。

それに続いて、バーレーンとスーダンも、イランとの国交を断絶すると発表しました。アラブ首長国連邦も、駐イラン大使を召還するなど、外交関係を格下げしました。

イランによると、その後サウジアラビアはイエメンの首都サヌアのイラン大使館を空爆したといいます。(サウジアラビアは否定しています。)


ペルシャ湾が封鎖され、原油価格の高騰(石油ショック)が起きたり、両国間で戦争が勃発し、第三次世界大戦に発展する可能性もあると警戒されています。



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